はい、やめしです。
写真を続けていると、いつの間にか「撮りたいから撮る」より、「反応を取るために撮る」が強くなっていく。よくあると思います。僕自身も、SNSの反応を気にするほど、写真が“作品”ではなく“数字”に変わっていく感覚がありました。
もちろん、SNSで見てもらえるのは嬉しいです。保存数やフォロワーが増えると、素直に達成感もあります。
ただ、その数字を追い始めると、少しずつ写真との向き合い方が変わっていきました。
「伸びるか」を基準に撮っていた時期
今の時代、写真を続けていると、多くの人が一度は似た状態に入ると思います。
- 投稿前に「この写真は伸びるかな」と考える。
- 撮りたい場所より、“映える場所”を優先する。リスト
- 保存数やインプレッションで気分が変わる。
- 他人の写真を見て、自分の表現に自信がなくなる。
特にInstagramやXは、アルゴリズムの変化で反応がかなり不安定です。
昨日まで伸びていた写真が急に伸びなくなったり、逆に何気なく載せた一枚だけ反応が良かったり。正直、読めない部分がかなりありますよね。
つまり「良い写真=伸びる写真」ではないということ。
でもSNSを続けていると、ここを混同しやすいんです。
SNSに夢中になると、本来は好きだから撮っていたはずなのに、いつの間にか“評価されるため”に撮るようになってしまいます。
これが続くと、写真そのものが疲れる原因になってしまうことも。
「投稿前提」で撮るのをやめた
僕自身もあまり得意でないSNSに疲れていた時期がありました。
その当時は自分の中では完全に「投稿するための撮影」になっていたと思います。
撮る前から構図を考えて、反応を想像して、投稿時間まで気にする。
気づけば、写真を楽しむより、結果ばかり見ていた気がします。
そこで、一度やり方を変えました。
SNSに載せない写真を撮る。あえてスマホだけで撮る。近所を歩きながら撮る。誰にも見せない前提で残す。
色々とやり方はあると思いますが、ぼくの中で大きかったのは、身近な『こと』を撮ることです。
かなり単純なことですが、これが思った以上に大きかったです。
「上手く撮らなきゃ」という感覚が少しずつ消えて、また“見つける楽しさ”が戻ってきました。
旅行先じゃなくても、遠くへ行かなくても、撮りたい瞬間は意外と近くにあるんですよね。
反応より、後から残る写真
SNSでは、反応が良い写真と、自分が好きな写真が一致しないことがあると思います。
例えば、曇り空の風景。少しブレた夜景。旅先で何気なく撮った道。
こういう写真は、正直伸びにくいかと思います。
でも、後から見返した時に記憶に残っているのはむしろこういう写真だったりするんじゃないかと僕は思います。
ぼくの好きな雰囲気の写真は、暗く、湿っぽい、でもどこか暖かく渋い写真。
こういった現象をすることが多いのですが、一時期はSNS受けしやすいキラキラした写真に仕上げることもありました。
でもそれじゃあ自分の表現したい写真じゃないなと。
結局いつもの自分の好きな写真を表現するように戻ってきました。
今思えば撮らない期間も必要だった。
SNSを続けていると、更新を止めることに焦りを感じやすいです。
投稿が止まると、置いていかれるような感覚になる。アルゴリズム的にも不利になると言われますし、発信を続けた方がいいのも事実です。
ただ、無理に続ける方が危ないこともあります。
義務感で撮る。とりあえず投稿する。気づけば写真そのものが嫌になる。
これが一番長く続かない原因だと思っています。
これはここ最近の話になるんですが、仕事が忙しくなったり、引っ越しが被ったりでカメラから離れていました。
投稿しない期間もあったし、カメラを持たずに旅行もしました。昔の自分では考えられないですね。
でも距離を置いたことで、「また撮りたい」が自然に戻ってきたんですよね。
やっぱりなんだかんだ写真が好きなんだと思います。
SNSを完全にやめる必要はない
SNS疲れというと、「SNSをやめるしかない」と思われがちですが、実際は使い方の問題なこともあります。
例えば、投稿頻度を減らすだけでもかなり変わります。毎回完成度を求めすぎず、ストーリー中心にするのも一つです。
非公開アカウントを作って、気軽に写真を残す方法もありますし、“作品発表”ではなく“写真日記”として使うのもありだと思います。
誰にでも刺さる写真を目指すより、「好きな人だけ見てくれればいい」と考えた方が楽になることもあります。
毎回伸ばそうとするより、世界観を崩さず、好きな写真を積み上げていく。
結局、長く続けられる人の方が強いのかもしれません。
長くなりましたが、いつも見てくださってありがとうございます。
ゆっくりですが更新は続けていくと思うので、気が向いたら見てやってください。
では。


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